四郎広場「スポット紹介」

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天草四郎時貞

日本一の天草四郎像!!(なんと高さ15m)

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天草四郎時貞(本名:益田四郎時貞)
元和7年(1621年)にキリシタン大名小西行長の遺臣である益田甚兵衛の子として母の出身である天草の大矢野島(現在の熊本県上天草市)で生まれたとされる。
天草・島原一揆(島原の乱)の総大将として有名。
その生涯においては不明な点が多いが、幼き頃より天童と称され、容姿端麗で学問に広く通じており、多くの伝説が残っています。(伝説についてはまた後日記載します)


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天草・島原一揆(島原の乱)は、1637年島原・天草地方の百姓達が領主による百姓の厳しい酷使や過重な年貢の取立てに窮し、さらに数年に渡り続いた凶作による飢饉の被害のために起こした一揆です。

また、天草は昔よりキリスト教徒が多く、キリスト教迫害も行われていた事から宗教戦争の一面もあり、天草・島原の乱は、農民が武士に戦いを挑んだ、日本最大の農民一揆であり最大の宗教一揆です。


蜂起した民は島原城、富岡城を攻めながらやがて、島原の原城に立て篭もります。
その総大将となったのが若干17歳の天草四郎時貞でした。


自由と平等を求め、老若男女を含む総勢3万7千余に上る惣百姓・浪人ら一揆軍が篭城し、幕府軍を相手にし壮絶な戦いを繰り広げました。
天草四郎を中心に一揆軍は団結し、江戸幕府が九州各地より集めた12万の正規軍相手に緒戦は善戦するも、篭城を開始して90余日、ついに兵糧が尽き、寛永15年2月28日に幕府軍による総攻撃によって天草四郎率いる一揆軍は全滅しました。

この戦いにより約3万7千余人の尊い命が失われ、その後、捕らわれていた人々も、皆処刑され、天草と島原の地からは、ほとんどの人が消えてしまいました。


藍のあまくさ村ではこの尊い犠牲を弔うため、毎年2月28日には『供養祭』を開催しています。

多くの方による献花や合同慰霊などが行われ、先祖供養を地元の皆様で行っています。


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熊本城の石ろう

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龍神の手洗い場

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田んぼの神様

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弁財天

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旅の神様

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恵比寿大黒様

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近日公開!お楽しみに!

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